群馬用水の主な役割
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群馬用水の昔・今・未来へ
むかしから・・・・
 赤城山・榛名山のすそ野は、水の少ない地域でした。このため農家の人々は、田んぼの水に苦労しており、はるか下に流れる利根川の豊富な水を使いたいと、長い間願っていました。
この願いをかなえるため昭和39年〜昭和45年に「群馬用水施設」が、氷資源開発公団により建設され、たくさんの水が使われる米づくりが標高の高いところでもできるようになりました。


今では・・・・
 今では、全国でとれる米の量が増えたり、ごはんのかわりにパンなどを食べる人も増えたりしたため、米が余るようになり、米をつくる量を滅らしています。そのため、田んぼに使われる水の量も減り、群馬用水の水が余るようになりました。
ところが、県内の人口は増えて、多くの水道水が必要になったため、群馬用水の水の一部を農業用水から、私たちが毎日使う水道水へと変更しました。

未来の群馬用水は・・・
たくさんの田畑へ農業用水を運んだり、県人口の約半分である100万人に水道水を運びます。
また、群馬用水は、このような農作物を育てる水や、私たちの飲み水だけではなく、火災を消すための水、動物や植物の生きるための水にもなります。そして、農家の人が耕した田んぼの水と緑によってつくりだされた風景や水辺が、私たちの心に安らぎを与えてくれます。

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